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寺山修司 著『書を捨てよ、町へ出よう』を読んで

先日、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』を読み終わった。

映像作品や戯曲や詩など多岐にわたる作品を世に生み出した人物の、エッセイを主体とした著書だ。

私にとって、寺山修司という男の作品を手に取ったのはこれが初めてだった。

 

 以前に彼を特集したNHKの番組を見たくらいで、別段私と接点らしい接点もないのにも関わらず、寺山修司という人物からは不思議と引力のような何かを感じた。

 

この本の具体的な内容について、ここで語ることはあえてしないが、

読んでみて思ったことは、著者の物事の捉え方、視点が非常に独特だということ。

感性が四次元的とでも言うのだろうか。

陳腐な表現をするとすれば、普通の人には見えていないものが見えているといった具合か。

それは幽霊のような本来目に見えないものが見える霊能力的な意味ではない。

重箱の蓋を明けずに中身を言い当てる超能力的なものでもない。

理性と本能が零れるほど入った日本人という樽、その箍の緩め方と締め方を直感的に理解している。そんなイメージ。

 

文体としては、ぶっきらぼうな印象を受け、ちょっぴり小難しい言葉や猥雑な言葉が頻出するのだがなぜかそこに惹きつけられる。

元来言葉少なな彼が、雄弁に語る実体験と空想が混ざった言葉の数々は、

新鮮かつユニークで、ただの理想論ではなく、手触りを持った現実感を湛え、生と死を今までよりリアルに感じられるようになる気さえする。

 

寺山修司はもう35年以上も前に亡くなっているが、こんな人が現代社会に生き残っていたとしたら、その間にどんな作品を世間に発表し続けたのだろうか。

彼には根無し草という言葉がよく似合う。きっと表現の舞台も転々と変えているに違いない。

なんだかよくわからないけれど。それほど、実体が掴めない人物という印象を持った。

たぶん、変わってるけど格好いいおじさんだったんだろう。

 

私の知識不足で本の内容を十分に理解できていない部分も多いが、他の作品を読んだり視聴することで、この本と寺山修司という男への理解は深まるだろう。

 

さて、大幅に期間が開いたブログの記事が、唐突に始まる本のレビューめいた記事というのはなんともありふれていて、私らしくもある。

私は読書家を名乗れるほど本を読むわけでもないが、読書嫌いというわけでもない。

では、何故こんな記事を書いたかというと、単なる気まぐれに他ならない。

そういうわけで、次も本のレビューとは限らないが、また機会はいずれ訪れるだろう。